2020年3月1日
2020年3月/中島薬局復興オープンまでの過程
第25期経営計画報告会(当社の年1回の社員総会)を2週間後に控えたその日、深夜から早朝にかけて、100年に一度の水害が豊野町一帯を襲いました。記録では、穂保地区で千曲川の越水が始まったのが10月13日午前1時ごろ、同地区で堤防が決壊したのが午前5時半ごろ、午前8時には豊野町にも洪水が押し寄せていました。
この令和元年台風19号水害のため、当社グループ薬局の中島薬局・ガーデン薬局・本部総務部・サンタストック(倉庫)が被災しました。いずれも2mを優に超える浸水で、翌14日朝には、いったん天井まで押し上げられた薬局内のあらゆるものが(ソファーやカウンター、調剤機器や冷蔵庫まで)、水位の低下とともに床に散乱し、それらが厚く泥にまみれている状況でした。何より、一番大切な、お客様・患者様情報が入ったパソコン類を救い出せなかったのは痛恨の極みでした(のち、データ復旧)。
激甚災害とは、この社会とつながって脈動する業務上の人・物・金・情報のネットワークが、一夜にして寸断されることです。そして、復旧・復興とは、強い意志と方針をもって、これらのネットワークをより強固に一気につなぎ直すことだと考えます。
その優先順位を前もって決めておくのがBCP(事業継続計画)です。当社はBCP文書は策定済みでしたが、この水害常襲地の浅川・千曲川沿岸にありながら、うかつにも風水害のマニュアル類は未整備でした。例えば、総務部は本部2階に、データ類はクラウドになど、前もって打つ手はいろいろあったと、今になって悔やまれます。この復旧・復興の成否は、したがって、代表取締役たる私の意志・方針・判断と社員の協力・団結にすべては委ねられていたと考えます。
社員は、地元在住の2名が被災しましたが、幸い2名とも安全が確保されました。14日から、全社員が参集し、まず災害廃棄物の搬出作業を1週間にわたって行いました。この間、業界関係の方々が多数、応援に駆け付けていただき、またお見舞いや救援物資等を届けてくださいました。篤く御礼申し上げます。
さて、ここであらためて総括しますと、復興の優先順位は次のとおりでした。
- 第1 患者様&施設処方箋の確保
- 第2 清掃と災害廃棄物の片づけ
- 第3 電源・通信・上下水道復旧と社員避難場所確保(浸水を免れたガーデン薬局2階)
- 第4 ガーデン薬局2階で本部業務仮再開
- 第5 ガーデン薬局2階の整理整頓
- 第6 被災したガーデン薬局・本部総務部・中島薬局・サンタストックの清掃
- 第7 ガーデン薬局2階で本部業務機能完全復旧
- 第8 中島薬局の優先復旧を決定、開局に向け計画スタート。毎日朝礼・夕礼を実施し各員の業務進捗状況確認
- 第9 令和元年12月16日、中島薬局復興新装オープン
中島薬局は、被災から2ヵ月という最短期間で、再オープンすることができました。被災廃棄物を取り除き、まったくスケルトン状態になった薬局が、この短期間で復興できたのはまさに奇跡でした。それは、全社員はもとより会社を取り巻く多くの方々の御支援・御理解・御配慮の賜であることはいうまでもありません。重ねて感謝申し上げます。
またこの間、グループ薬局では、中島薬局・ガーデン薬局をバックアップして、豊野地区処方箋対応・日曜日祝日営業・土曜日19:00までの長時間営業・デリバリー業務等を実施致しました。こうした時宜を得た対応にも感謝です。
私が早期復興(復興一番乗り)にこだわったのには訳があります。被災後の町は暗転しました。ことに深夜には灯ひとつない漆黒のような暗さでした。国道18号沿道の暗さといったらたとえようなく寂しく、いつまでたっても泥の異臭が漂い、「これが、被災ということだ」と否が応でも納得させられるような……。そこに、一刻も早く灯をともしたかった。泥を拭い去り、清掃整理整頓し、夜には広告塔を明々とともしたかったのです。
しかし現実には、豊野町に住む人は月ごとに減りました。本当の復興はこれからです。それは地域が復興するということであり、当社も医療面で地域グループを編成して、次のアクションの準備を進めているところです。繰り返しますが、本当の復興はこれからなのです。
最後に、被災された地域の皆様に衷心よりお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復旧を祈念いたしております。奇跡を信じて…!